「西陣織とは ~呼称555年、その歴史~」

こんにちは!

岡文織物の知花(ちばな)です!

 

記念すべき初のブログ投稿

 

何を話そう・・・色々話したい・・・

私の自己紹介、とも思いましたがまずはそれよりも確実に需要のある

「西陣織 歴史について」をお話ししたいと思います!

 

実は先日岡文織物の社屋である築111年の歴史ある京町屋「榎邸」にて

落語会なるものを行いまして!

その中で噺家(はなしか)さんが西陣織の歴史について話してくださって、さすがお話しのプロ・・・なんと面白い!歴史に疎い、というか歴史を知らない私でも絶妙なトーク力にぐいぐい引き込まれる。

 

ということで、私がプロ並みに魅力的なご説明ができるかは・・・ですが、西陣織の歴史を少しお話しさせていただきますね!

 

2022年は西陣と呼ばれるようになって555周年という記念すべき年となっております

1467年、京都が主戦場となって東軍・西軍と分かれ、その後11年と長く続く大きな内乱が起こりました。それが応仁の乱です!

 

「人(ひと)の世(よ)虚(むな)しい応仁の乱」で覚えましょう!

 

戦で荒れ果てた京の都を復興すべく、織物職人たちが集まったのが西軍本陣だったエリア「西陣」です。

西陣の織物は日本一と認められ、室町幕府からも特別に扱われました。

江戸時代に入ってからも幕府の保護のもと、高級織物の産地として西陣はさらに発展を遂げていきましたが、江戸時代後半になると度重なる飢饉や、行き過ぎた倹約令(贅沢をさせないよう倹約を推奨する)により金糸、銀糸、絹糸が禁止され西陣織は苦難の時代を迎えます。

 

その後1867年、大政奉還(政権を幕府から朝廷に返上!)、明治天皇の東京行幸(天皇が東京に行ってしまった!)により、京都の人口の3分の一が流出してしまいました。

そんな京都を盛り上げ、京都の繊維産業を立て直そうと京都の初代府知事(長谷信篤)が、フランスのリヨンへ織りの技術習得のために人を派遣した。

その後技術と共に鉄製のジャカード機を持ち帰り、その後に木製のジャカード織機を日本製で作り、それが今の西陣の基礎となりました。

 

西陣の伝統の上に、明治がもたらした近代化を全国に先駆けて取り入れ、「織物の町西陣」として築き上げ、成功させました。

 

チャンチャン

 

偶然ですが、社屋である榎邸が築111年、岡文織物は創業333年、西陣が呼称555年と2022年はゾロ目続きで私どもとしてはなんだかワクワクする年でございます^^

 

西陣を、着物業界を、着物が好きな方/これから好きになる方を盛り上げていけるよう頑張っていきますので応援よろしくお願いいたします

 

西陣織 歴史